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済美 安楽 愛媛県大会 [野球]

愛媛の済美のエース安楽が夏の甲子園の愛媛大会で153kmをマークした。

安楽は今年2年生。

春の甲子園で準優勝、その時からさらに力をつけているようだ。

春は152kmを出した。

それを更新してしまった。

150㎞台を出すピッチャーといえば、日本ハムの大谷がまず目に浮かぶ。

大谷のように高卒でプロを目指すのかどうかわからないが、間違いなくどの球団もほしい投手だろう。

やはり153kmの速球を投げるピッチャーは貴重だ。

7月17日、愛媛県大会の2回戦、帝京五戦で出したという。

とにかくすごい投手。

でもまだ2年生というから末恐ろしくもある。


その安楽、

愛媛大会が始まる直前、7月6日の練習試合2試合に先発。

計14回で198球も放っている。

ダブルヘッダーの練習試合、相手は徳島の鳴門渦潮。

しかも198球を投げさせるというのはどういうことか。

そんな調整法もあるのだろうか。

いかにも日本人投手の投げてなんぼの世界と言えなくもない。

メジャーリーグのスカウト関係者が知ったらクレームつけたいのではないか。

春のセンバツでも計772球を投げていたし。

どうにか無事に夏の甲子園の舞台まで上がってきてほしい。

それからまともな肩のまま、プロで活躍してほしい。

長島三奈 熱闘甲子園 降板 [野球]

暑い夏の風物詩といえば、甲子園。

今年も地方予選から勝ち上がった高校が甲子園を目指している。

甲子園球児の姿を伝える番組「熱闘甲子園」のキャスター、長島三奈さんが今年の放送を最後に卒業する。


降板の理由は明らかにされていないが、

1998年からこの番組のキャスターを務め、

甲子園とその地方大会の現場にも足を運んで球児たちを追ってきた

長島三奈さんにはお疲れ様と言いたい。


ところで長島三奈さんと言えば、あの長嶋茂雄さんの娘さんだ。

国民栄誉賞を受賞したミスターを陰ながら支えてきたのも三奈さんだった。

茂雄さんが脳梗塞で倒れた2004年には、看病のために取材を控えようとしたほど。

この時は茂雄さんが番組の取材を続けさせたという。


今回の降板に際しては、

関係者への感謝の気持ちを表し、

「これまで高校野球を続けさせていただき、一番の幸せ者だと思っています。」

と語っている。


次のステージでの活躍を期待している。

サンデーモーニング ライアン小川 [野球]

サンデーモーニングのスポーツコーナーで

張本勲氏がたびたびヤクルトの投手、小川泰弘をほめている

張本といえば、厳しいスポーツ評が有名で、とくメジャーリーガーには手厳しいことで知られている。


なぜ小川投手を褒めているのかというと、まずはその成績。

2013年プロ入り後、6月30日現在、新人ながら8勝目をあげた。


その投球フォームがすごい。

往年の野茂英雄のトルネード投法に通じるフォームからライアン小川、和製ライアンと呼ばれている。

あのノーラン・ライアンの投球フォームに似ているからだという。


そのフォームを身につけたのは、大学時代だ。

愛知県田原市にある県立成章高校から創価大学に進学し、ノーラン・ライアンの「ピッチャーズ・バイブル」を読んだのがきっかけらしい。

ちなみに愛知県の強豪といえば、中京大中京や愛工大名電など私立高校が知られており、県立校が甲子園に出場するのは簡単ではないが、

2008年、小川はエースとして3年の春、甲子園に出場し、1勝をあげている。

小川は「地元のチームを強くしたいと思って成章に入学した。OBの方から1勝はしてほしいと言われていた」と勝利の喜びを語っている。


ついでに書いておくと、愛知県立成章高校は普通科、商業化、生活文化科の3つの科を持ち、普通科は県内でも屈指の大学進学率を誇る。

また商業科は簿記検定や電卓検定で全国トップクラスの合格率。

生活文化科では、食物や被服、茶道などの検定での好成績をはじめ、地域に根ざした活動を頻繁におこなっており、地域の住民に愛されている。


ノーラン・ライアンの「ピッチャーズ・バイブル」との出会いが3年の夏。

投球フォームを変更したというが、その変更過程は不明。

創価大学が加盟する東京新大学リーグでは、リーグ通算成績は36勝3敗、防御率0.60。リーグMVPを5回受賞。


2012年ドラフト会議でヤクルトが2位指名。プロ入り。

大学時代、活躍していたにもかかわらず、知名度が低く、小川を知らなかったが、プロ入り後の活躍は華々しい。


身長は170センチと小柄だが、左足を高くあげ、その状態でためをつくってから投げ下ろす投球は打者はタイミンを取りづらい。

速球は140キロ後半を投げる。

斎藤佑樹 鎌ケ谷 先発 [野球]

斎藤佑樹が鎌ケ谷でのイースタン・リーグで先発する。

「自分の開幕。その気持ちはあります」

と昨シーズン11月以来の実戦登板にむけて静かな闘志を燃やしている。


その斎藤佑樹がいよいよ戻ってくる。

6月20日、鎌ケ谷の室内練習場でブルペン入り、クイックも交え55球投げた。


6月22日には鎌ケ谷でのイースタン・リーグで先発する。

相手はフューチャーズ。

右肩関節唇損傷で今シーズンは一軍開幕から6月までずっと2軍で調整してきた。

その間に日本ハムはルーキー大谷翔平が話題を独占してきた。



日本ハムは今季、下位に低迷していることから首脳陣も先発ピッチャーとしてローテーションの一角を期待しているはずだ。

今、斎藤佑樹のプロ野球投手としての力が問われている。

この試合はただの復帰戦ではない

またすんなりとローテーションの一角を取れるほどプロ野球は甘くはないことは本人も痛感しているはずだ。


今シーズンはおろか来シーズン以降の斎藤佑樹を占う上でも試金石となる試合となる。

先発復帰とはいえ、故障上がりの斎藤は1,2回の投球となるようだ。

また台風4号の影響で雨も心配されている。

もし雨天中止の場合は、週末を打撃投手として過ごすことになりそうだ。

ソフトバンク 大隣 黄色じん帯骨化症 [野球]

ソフトバンクの大隣憲司投手が黄色じん帯骨化症で手術するという。

6月21日に都内で手術、実戦復帰には半年以上かかることから、今シーズン中の復帰は難しいようだ。

この病気、巨人の越智大祐投手も発症している。

越智投手の場合、2012年6月に手術、術後も激しい痛みや吐き気が残ったがリハビリを終え、術後3か月でブルペンで投球できるまでに回復した。

この黄色じん帯骨化症(おうしょくじんたいこっかしょう)、国指定の難病だという。

黄色靱帯は、脊髄(せきずい)の背側にあって各々の胸椎を縦につないでいるもの。

黄色靱帯骨化症とは、脊髄を保護する黄色靱帯が骨に変わって神経を圧迫する病気だ。

症状としてはしびれや歩行困難がある。

越智投手は医師から「野球を続ければ、2年後には車いすの生活になる」と告げられたという。

大隣投手の症状は今のところわからないが、手術を成功させ、あせらずじっくり回復させてほしい。

実戦復帰を待っている。

日本ハム 佑ちゃん 登板 [野球]

右肩関節唇損傷で2軍調整中の日本ハムの祐ちゃんこと斎藤佑樹投手がフリー打撃に登板。

左打ちの浅沼寿紀外野手と右打ちの松本剛内野手の2人にに44球を投げた。

打者相手に投げたのは昨年11月以来7ヶ月ぶりだが、斎藤佑樹は「まだ野球をやめたくないという気持ちでやってきた」とコメント。

この日、札幌で報告を受けた栗山監督も「前に進んでいる」とその回復ぶりに笑顔を見せている。

復帰時期については来週になりそうだ。
このまま順調なら22日の2軍若手選手による混成チームのフューチャーズ戦(鎌ケ谷)で実践復帰となる。

今シーズン中の一軍復帰の期待については栗山監督は「可能性が出てきたね」とだけ語っている。

二刀流の大谷をはじめプロ野球界に若手の台頭が目立つ中、祐ちゃんにも焦りはあるはず。

焦らないように、なるべく早く復帰したい」と静かな闘志を燃やす斎藤佑樹。

はやく祐ちゃんのピッチングを一軍マウンドで見たいものだ。

加藤コミッショナー 辞任しろの声上がる [野球]

プロ野球の統一球の変更をめぐるニュースでテレビ画面に露出したのが、白球に黒字で書かれた加藤良三の文字だ。



今回はこの人物、加藤良三について少し書きたい。

この事件をめぐっては、なんで、人の名前が硬球に書いてあるんだと不思議に思わた方も多いのでないだろうか。

この加藤良三なる人物を調べたら、元駐米大使の外交官で、プロ野球コミッショナーだとわかった。

プロ野球コミッショナーは歴代、ボールに名前を刻めるのかどうかは不明だが、加藤コミッショナーは2008年7月に就任以来、かれこれ在任5年になる。

ただ、この加藤良三コミッショナーは野球に対する造詣の深さはつとに有名であるらしい。

ワールド・ベースボール・クラシックやメジャーリーグで始球式を務めた経験があり、日本のプロ野球で名を馳せた元選手たちも加藤良三について、その野球通ぶりを語っている。

それなら、外交官で野球通ならあプロ野球コミッショナーになれるのかという疑問が湧く。

歴代のコミッショナーの経歴を見てみると、外交官出身は第12代目の加藤のほかに、7代目だった下田武三がいるぐらいだ。

他の顔ぶれを見ると、検事総長や裁判所判事、大学総長、銀行相談役などさまざまな職業の人物である。また在任期間もさまざまである。


このことからさまざまなルートからコミッショナーへの道につながっているのは確かだ。

それならば、どのように選任されるのか?


また、そもそもコミッショナーはどれだけ偉い地位にあるのか。

まず、プロ野球コミッショナーとは何かというと、

野球協約という規約の中に

コミッショナーは、日本プロフェッショナル野球組織を代表し、これを管理統制する。

という一文があるように、プロ野球組織のトップであることがわかる。

トップであるがゆえに、その権限は大きなものであろう。

野球協約には、「コミッショナーの任期を2年とし、再任を妨げない。」とあるので、5年間にわたって在任しているのが、コミッショナー権限の強大さを表していると言えなくもない。

どのようにコミッショナーに選任されたのか?

2008年6月18日の東京・グランドプリンスホテル高輪で開かれたオーナー会議で、正式に第12代コミッショナーに就任している。
その前に日本野球機構が正式に日本プロ野球コミッショナー就任を要請したのが明らかになっており、日本野球機構が次期の日本プロ野球コミッショナーを決めていることになる。

組織内で次期のトップを決めるのは責められるべきことではないが、多くの国民が愛する野球の運営組織トップの選任過程が不透明との批判もある。

また、ウィキペディアの「加藤良三」のページには、「加藤の仲人は第7代コミッショナーの下田武三である」という記載もある。


最後に2020年開催の夏季オリンピックの競技の最終候補に野球・ソフトボールが残ったことについて、野球界の組織改革を推進しているその努力を触れておく。

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